大雨とダムの放流で堤防が決壊し、豆満江の水が市内に押し寄せてきた。それを見た副校長は「このままでは学校は水没し、肖像画が流されてしまう。そうなると、非難や処罰は免れない」と思ったようだ。
そこで、教師や生徒を動員して肖像画救出作戦に乗り出した。ところが、思ったより早く水かさが増し、全員が水に飲み込まれてしまったというものだ。
戦前の日本で、空襲の際に御真影(天皇の写真)を守り亡くなった人が賞賛されていたのと全く同じである。
昨年、同じ咸鏡北道の羅先(ラソン)を襲った大雨の際も、肖像画を守ろうとして多くの人が命を落とした。情報筋は「副校長の『ゴマスリ忠誠』さえなければこんなことにならなかったのに」と残念がり「労働党が煽る『忠誠競争』の犠牲になった」と述べた。
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命を落とした人々は、通常なら英雄として大々的に持ち上げられるところだ。