➢ 760
他の種類の処罰には食事制限、追加強制労働、独房、殴打、手足切断など各種ある。
身体罰は特別懲罰区域で実施されるのが通常であり、ここは収容者の拷問にも使用される。正式な取調手続によらずに看守が個人的に拷問や非人道的、屈辱的な懲罰をその場で行う。子どもであっても最も残虐な処罰を免れない。
- シン・ドンヒョク氏は14歳だったときに、母および兄弟の逃亡計画を知らないかと第14政治犯収容所の懲罰区域で6ヶ月にわたり拷問による取調を受けた。いろいろな方法が使われたが、中でも、火の上に背中がやけどするまで吊るされた。彼が生き延びられたのは、年上の収容者仲間が傷の手当をしてくれたからである。
- また別のとき、シン氏は労働を強制されていた工場で誤ってミシンを落とした。懲罰として右手の中指が切断された。「看守が工場責任者に私の指を切断するよう命じた。私は跪いて許しを請うたが、受け付けられなかった。私は手の全部が切断されると思ったが、指1本だけだった。手ではなく指1本だけだったことをそのとき私は看守に深く深く感謝した。」
- アン・ミョンチョル氏は、第22政治犯収容所での事件にじて述べた。彼の上司はトーじランプで病人を殴りつけて死亡させた。労働がのろかったというのが理由である。事件の調査によりこの上司は処罰されず大学への入学権が与えられた。
- カン・チョルファン氏は、燿徳の第15政治犯収容所では収容者の懲罰に「発汗箱」を使用していた。「発汗箱」は看守居住区のそばに設置された小さな木箱で、狭小なため中で立ったり横たわったりすることはできなかった。収容者はしゃがんだ姿勢で膝を曲げていなければならなかった。収容者の臀部はあざが黒変するまで常にかかとに押し付けられた。この姿勢では血流が阻害され、発汗箱に長時間入れられると収容者は死亡した。さらに、発汗箱の収容者にはほとんど食べ物が与えられなかった。箱の中に入り込んだ虫を食べてやっと生き延びることも少なくなかった。