世界最悪の監視国家と言われる北朝鮮においても、過去に反体制の動きがあったのは事実だ。1993年、ソ連のフルンゼ軍事大学留学組の同窓会が「血の粛清」に遭った事件や、1995年の6軍団クーデター未遂がそうだ。
(参考記事:同窓会を襲った「血の粛清」…北朝鮮の「フルンゼ軍事大学留学組」事件)また、厳密には反体制の動きとは言えないが、1995年には当局の横暴に抗議した労働者たちが、ことごとく戦車に轢き殺される虐殺事件も起きている。
「ベルリンの壁」崩壊以前に
このような動きが1990年代に集中して起きたのは、北朝鮮がこの時期、数十万から一説に100万人単位の餓死者が出たとされる、「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉のただ中にあったからだ。