1988年は大飢饉が起きる前だし、旧ソ連と東欧社会主義圏では変革が始まっていたものの、ベルリンの壁の崩壊やルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻射殺は翌年の出来事だ。テ氏の語った情報が事実なら、北朝鮮最高のエリート子弟が通う金日成総合大学の中に、東西冷戦終結の流れに呼応しようとしたグループが育っていた可能性さえ示唆するものと言える。
ただ、文化日報のインタビューは「苦難の行軍」を1980年代とするなど、明らかな間違いが含まれている。聞き手はベテランの政治部長のようだが、記者が記事化する段階で錯誤が混じった可能性もある。
いずれにしても、検証の待たれる情報ではある。
(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」)