事故が起きたのは1996年12月3日、慈江道(チャガンド)の満浦(マンポ)から平安南道(ピョンアンナムド)の順川(スンチョン)を結ぶ、満浦線でのことだ。慈江道を南北に貫き、平壌へと続く重要路線の一つだ。
満浦から平壌を経由し、黄海南道(ファンヘナムド)の海州(ヘジュ)を約18時間で結ぶ16・15列車は、おりからの停電の影響で出発できず、1週間遅れで満浦駅を出発した。12両の客車は、列車の出発を首を長くして待っていた乗客ですし詰め状態で、屋根の上にも多数の乗客が乗っていた。兵士、商人、コチェビ、地元で採れた薬草を持って食糧の買い出しに出た人が主な乗客だった。
この列車は前川(チョンチョン)と熙川(ヒチョン)の間にある松源(ソンウォン)郡の「ケゴゲ」と呼ばれる難所を通る。数十にも及ぶトンネルに加え、急勾配の連続で、機関車を列車の前後に連結し、前方の機関車が客車を引き、後方の機関車がスピード調節するというアクロバティックな運行を強いられる危険区間だ。