かつてベトナム戦争で死闘を演じていた米軍と北朝鮮空軍

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それによると、日本の国会に当たる最高人民会議が1965年5月、「要請があれば軍を派遣する」と決定し、翌1966年、朝鮮労働党代表者会議が「血でベトナムを支援する」ための「様々な措置」を取った。当時の金日成首相(後に主席)はパイロットたちに、「ベトナムの空をわが空のように、ハノイを平壌のように思って闘え」と指示したという。

同放送は、ベトナムに派遣されたパイロットの数は報じていないが、韓国の聯合ニュースなどの報道では約200人が参戦し、うち十数人が死亡したと見られるという。

また、2000年3月には北朝鮮の白南淳(ペク・ナムスン)外相がベトナムを訪問した際、ハノイ郊外の北朝鮮兵士の墓を非公式に訪問。金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長も2001年7月にベトナムを訪問し、この墓地を訪れた。