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【体験談】仮病の腹痛を麻酔なしで切開手術…北朝鮮の医療施設

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医薬品の足りない北朝鮮の医療施設では、ときに麻酔を使用せずに切開手術を行うことがある。以下はかつて、北朝鮮において傷害致死の罪で監獄生活を送った脱北者の“貴重な”体験談である。

拘留場に入ってから8日経ったときのことだ。母が面会に来てくれた。午前11時頃に警護の責任者が監房に入って来た。

「ジュナ! お前のお母さんが、この寒いのにお前にご飯を食べさせたいと言って、正門の前で保安署長の自動車をさえぎって大騷ぎになったぞ!お前のお母さんみたいな人は珍しい!いいお母さんに生んでもらったと思ってしっかりやれ!」

警護責任者の言葉を聞いとたん、涙があふれてきた。

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「お母さんのお腹がふくらんでいたから、何かと思ったら、ご飯が冷えないように服の中に抱いていたぞ!」

母恋しさに「仮病」を決意

私は警護員に付いて面会室に行った。部屋には青白く凍えているお母さんがいた。

「ジュナ、お腹がすいているだろう。痛いところはないのかい。寒いだろうに、服を持って来たからまず服を着なさい!」

「大丈夫、心配しないでください」

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母が持って来た服を着たら、寒さも心配でなくなった。けれども、母とは5分も一緒にいることができなかった。

「お母さん、早く出ます。もう少ししたら政治部長(政治思想事業を専門に行う人)が来るので、その前に早く出ることにします!」

担当の警護員がひどく気をもんでいたので、母とはほとんど話すこともできないまま分かれた。その後母は、保安署長に頼んでご飯を差し入れてくれたが、私は一回も食べることができなかった。警護員たちがとってしまって、彼らの雑用を手伝った収監者のトクボンにそのご飯を全部あげてしまったのだった。

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母と面会してから5日後に、私は母の顔をもう一度見るためにはかりごとをめぐらした。刑の宣告を受けて教化所に行く前に、母とひと晩だけでも一緒に過ごしたかった。私は盲腸炎になった演技をした。午後4時に右側の下っ腹をさすりながら寝転んだ。

頭部から流れる血

リ・ジョンス警護員の勤務時間だったが、彼は私が苦しんでいても、死のうが生きようが関係ないというかのように、最初から控え室に座って鉄門まで閉めてしまい、上部に報告もしなかった。

痛くもない腹をさすって演技をするということは、それほど簡単なことではなかった。官房の中の他の収監者も私が仮病を使っていると思っていた。

「ああ〜、痛い!」

いくら悲鳴を上げて寝転んでも、リ・ジョンス警護員は聞いた振りをするだけで何もしなかった。そいつの勤務が終わって、ソンヒョクという22歳の若い警護員が勤務に入った。

「どいつだ。くちばしをこすりつけてやろうか。どいつだ」

警護員のソンヒョクはあらんかぎりの声を張りあげて、横たわっている私を見るやいなや、暖炉の横にあったくぬぎの棒を握り「おい、チャンホ! そいつをこっちに引いてこい!」と、同房のチャンホさんに向けて怒鳴った。

困り果てた表情の医師

他の人たちが私を引きずって鉄窓の下の配膳口の前に横たえると、彼は鉄窓の隙間から棒を入れて振り回し、私の頭をなぐった。頭からは血が流れたが、私はこの痛みに堪えれば母の顔をもう一度見ることができると思い、棒で散々なぐられてもお腹をしっかりとかかえて横たわっていた。

ソンヒョクは私の体中をながめて、「殺人者め、腐ってしまえ!」と私の顔に唾を吐いた。

夕方の10時頃に勤務の交代があり、警護員のヨンホが来た。私の悲鳴を聞いて、電話で警護責任者に報告した。警護責任者は監房に到着すると、静かにチャンホさんを呼んで、私が仮病なのかどうなのか聞いた。それから、チャンホさんともう一人の収監者に、私を引っ張り出せと指示した。

私の手と足には手かせ、足かせがはめられて、チャンホさんの背中に背負われて、私は郡の病院に担ぎ込まれた。中学生の時に、友達のヨンチュンが学校の授業の途中に盲腸炎になったので、背負って病院に連れて行ったことがあった。

だから、病院でヨンチュンを担当した医者の質問と診察の過程をはっきりと憶えていた。私は当時の記憶があったので、医者の質問にきちんきちんと答えることができた。

病院に着くと、医者は私のお腹をあちこち押した。それから私を護送した警護員に、痛みが始まった時間を聞いた。医者は今は人がいないので、血液検査ができないと困り果てたような表情を浮かべた。

手術台に乗せられて…

一方私は、病院の戸を開けて入った時から恐怖を感じていた。警護員に棒で頭を殴られて血が流れても、我慢してここまで来たが、お腹を切って手術をしなければならないという事実に気付き、後悔の念にかられた。

診察している間、警護員とチャンホさんは外に出て、私は医者と二人きりで手術室に残った。

「お前、仮病だろう。正直言って、お前には痛みの気配が見られない」

「はい、病院に来たから痛みが消えました。手術はしません。もう、痛くありません」

医者の質問に対して私があまりにも堂々と、痛くないから手術はしないと言ったので、医者はかえって緊張したようだった。私の盲膓が裂けてしまって、痛みを感じることができないのだと勘違いしたのだ。

医者はすぐに緊急手術を決めた。盲膓が裂けた患者を今頃連れて来てどうするのかと、私を護送した警護員をとがめたほどだった。

メスの感触が腹部から…

私を棒で殴ったり足で蹴った警護員のソンヒョクはしょげたような顔をして、「ジュナ、お前のお母さんに連絡するから、ちゃんと手術を受けて来い!」と言った。

服を全部脱いで手術室に入ったら、心臓がどんどんと鳴った。手術台に横になるやいなや、医者が私の両腕を手術台に縛り、白い布で顔を覆った。

麻酔無しで手術をした。その痛みは言葉にできないほどだった。メスを入れたお腹から伝わってくる痛みがどれだけひどいのか、吐き気がして全身がぶるぶると震えた。

お腹の中を観察した医者は私の顔の上に覆われていた布を持ち上げて、「お前、本当にお腹が痛かったのか」と聞いてきた。

「先生、実はとてもお母さんに会いたくて、嘘をついて痛いと言いました。逃げようと思ったわけではありませんから、そのままお母さんと数日間病院で過ごして、教化所に行くことができるようにしてください」

医者は私が殺人犯ということを知っていたが、なぜか警護員をごまかして、私が病院に入院できるように承認してくれた。切ったお腹を縫っている間、足が揺れて全身がぶるぶると震えた。

自分の血のにおいに吐き気

縫合が終わった後、私は一人で立ち上がることができなかった。痛みに堪えるために腕に力を込めたためか、腕が固まって曲げられず、全身に力を込めることもできなかった。

医者に支えてもらってよろよろと歩き、服を着てから204号病室に行った。手術室の床に流れた血のにおいをかいだら頭がくらくらとして、吐き気に襲われた。

どうやって2階の病室まで行ったのか、今もよく思い出せない。母の泣き声で目を覚ますと、病室に横たわっていた。痛みは朝7時にようやくおさまった。

先生が思いやってくれて、一週間後に抜かなければならない糸を10日後に抜いてもらった。糸を抜いて拘留場に戻った日、保安署の正門前に見送りに来た友達と町内の人ひとりひとりと握手をして、私は鉄門の中に入って行った。

涙を見せないようにぐっとこらえて後ろを振り返ると、お母さんが地べたに座りこんで、両手で口をおさえたまま嗚咽していた。私は必死で笑顔を作って、母に向かって手を振った。