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苦節20年、ようやく幕が下りた「ある脱北者の流浪物語」

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米国のトランプ大統領は先月27日、中東7カ国からの移民の入国と、全世界からの難民受け入れを一時禁止する大統領令に署名した。その後、ワシントン州連邦地方裁判所が3日に大統領令の即時停止を命じる仮処分の決定を出し、入国は再開されたが、全米の空港ではその間、到着後に身柄を拘束される人が相次ぐなど、大きな混乱が生じた。

トランプ氏が大統領令に署名する2週間前、一人の男性が米国の空港に降り立った。20年近く、北朝鮮、中国、ロシアをさまよい続けた北朝鮮出身の男性、キムさんだ。あと少し遅れていたら、長年の苦労が水の泡となって消えていたかもしれない。

収容所送りに

そんなキムさんの歩みを、米国の外交問題専門誌「フォーリン・ポリシー」が伝えている。

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30代後半のキムさんは、1990年代末の大飢饉「苦難の行軍」で家族を失い、天涯孤独の身となった。

彼は食べ物を求めて脱北し、中国に向かったのは1997年のことだった。身分を隠して働くこと8年、彼はロシア行きを決心した。そこに行けば、難民資格が認められると聞いてのことだ。

ところが、彼がたどり着いたのは、ロシアではなくカザフスタンの国境だった。持っていた地図が旧ソ連時代の古いものだったのだ。国境で捕まった彼は、北朝鮮に強制送還され、収容所送りとなった。

1日に18時間も強制労働させられるのに、与えられる食事はわずかスプーンで3杯の米だけ。キムさんは生きるために再び脱北することを決心した。

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そのチャンスはある朝やって来た。作業場に移動する時、普段と違って看守が1人しかいなかったのだ。同じ作業班の30人がてんでバラバラな方角に逃げた。彼は、他の2人の収監者と共に近所の村に住む友人に匿ってもらうことができた。その友人の話によると、残りの27人は捕まってしまった。そして、収容所の方から何発もの銃声が聞こえたそうだ。

2週間後、3人は凍った川を渡り、中国へと向かった。しばらく建設現場で働き資金をためた彼は、2013年に改めてロシアに向かう決心をした。再び過ちを犯すことのないように、ルートをしっかり確認した。黒竜江省の黒河からアムール川を渡りロシアのブラゴヴェシチェンスクにたどり着いた。

女性弁護士の機転

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ロシアにたどり着いた彼を待ち構えていたのは国境警備隊員だった。

彼は、政治亡命を申請すると説明を試みたが、その場で逮捕され、拘置所に入れられた。4ヶ月間の勾留の末、裁判で不法越境罪で165ドル(約1万8700円)の罰金刑を言い渡された。幸い、罰金は免除となった。

裁判所の外で彼を待っていた、ロシアの人権団体「市民支援委員会」の弁護士リューボフ・タラレツ氏は、法廷の外に多くの北朝鮮人がいることに気づいた。

「もしかしたら北朝鮮の当局者が彼を連れ戻しに来たのかもしれない」

そう思ったタラレツ氏は機転を利かせ、裁判官に「書類への署名がまだ終わってないということにして、彼の拘束を解くのを待ってほしい」と要求した。

そして、手続きが終わるや、彼女は待ち構えていた北朝鮮人を振り切り、キムさんを自宅に連れて行った。

彼女の家でしばらく匿われていたキムさんは、首都モスクワに行けることになった。韓国料理レストランで働きつつ、ロシア移民局に難民申請を行なったが、「北朝鮮に帰国すれば銃殺されるということを立証できない」という理由で4回にわたり却下された。2016年5月にようやく期限1年の一時亡命地位を得ることができた。

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いつ北朝鮮に強制送還されるかわからないという恐怖心に駆られていた彼だが、国際移住機関(IMO)の斡旋で、米国に行くことが決定した。

しかし、最後の最後にキムさんは大きな壁にぶち当たった。

移民排斥を公約にしていたドナルド・トランプ氏が、米国の大統領選挙に勝利したのだ。その様子をテレビで見ていたキムさんは「もうアメリカに行けないかもしれない」との不安感で涙が止まらなかったという。

多くの難民が涙に明け暮れている一方で、彼は幸運にも米国の地にたどり着くことができた。

キムさんは、いつの日か北朝鮮に帰る日を夢見ている。

「私は朝鮮人だ。私は北朝鮮で生まれ育った。父母兄弟のいる国だ」

彼の夢はいつか叶うかもしれない。しかしそれは、現在ロシアにいる他の北朝鮮人にとっては「悪夢」である。強制送還を意味するからだ。

市民支援委員会によると、極東やシベリアにいる脱北者は最大で数百人に達する。2004年から2014年までの間にロシア政府に亡命申請をした北朝鮮人は211人だが、亡命を認められたのは2人に過ぎない。一方、期限1年の一時亡命地位を申請した場合の対応は異なる。こちらでは申請した170人のうち、90人が認められている。

これは、ロシアは脱北者を追い返すことにより、国際社会から「人権侵害」と批判されることを避けたいが、国内に定住させたくないため、一時的に亡命を認め、第三国に移住させるようとしているからだと言われている。

拷問と死

一方、ロシアと北朝鮮は昨年2月、不法滞在者を強制送還する協定を結んだ。

そのため、今後はロシア経由で第三国に亡命することが困難になり、難民申請の審査結果が出る前に強制送還される可能性が高くなると市民支援委員会のスベトラーナ・ガヌシュキーナ氏は見ている。

「ロシアと北朝鮮の協定は、助けを求めている北朝鮮の人々に対する犯罪だ。旧ソ連のような拷問と死が待ち構えている国に送り返そうとしているロシアが恥ずかしい」
(ガヌシュキーナ氏)

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