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「中国人の男は一列に並んだ私たちを選んだ」北朝鮮女性、人身売買被害の証言

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両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)の出身で、1990年代末に脱北した女性コ・ジウンさんは、中国で2度にわたり人身売買の被害に遭った。

 初めて脱北したのは1997年9月、28歳のときだそうですが、何がきっかけでしたか?

 友人から受けた影響が大きかったです。その友人は1度脱北し、中国で捕まり強制送還されたのですが、中国で見聞きしたことをいろいろと話してくれました。外の世界の情報にたいへん驚き、とくに韓国社会に対する関心が強まりました。そのとき、北朝鮮の政治こそが偽りであり、この国には未来も希望もないと感じたのです。それからしばらくして、強盗被害に遭ったこともきっかけになりました。

知らぬ間に売られ

犯人は、朝鮮人民軍の兵士たちだったのです。

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国が物資を供給しないので、兵士たちも強盗や盗みを働くしかなかった。それで、つくづく嫌になってしまったのです。

 脱北後、どのように人身売買の被害に遭ったのですか?

 中国へ逃れてから4カ月間、ある食堂で働いたのですが、給料をまったく払ってもらえませんでした。そこを逃げ出して別の街に移ったところ、キムチを売っている中国朝鮮族のおばさんと知り合いました。たいへん優しい人だったのですが、そのおばさんに、「北朝鮮から来た人が暮らせる場所がある」と、ある男性が持ちかけてきました。その男性を介し、朝鮮族の男性と会うことになったのですが、実はそれこそが人身売買の取引だったのです。

男の家に連れて行かれ

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 では、最初は人身売買だとわからなかったのですね。どのように気付いたのですか?

 その男性の家に連れて行かれたのですが、自分で望んだわけでもなく、一緒に暮らせるはずがありません。そう伝えると、その男性が「お前はオレがカネを払って連れてきたのだ。だからここで暮らさねばならない」と言ったのです。そのとき初めて、自分が売られたのだと気づいたのです。

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 そして、その村で暮らしていたところ強制送還され、再度、脱北したのですね。

一味には女も

 はい。送還されてから1年間、労働鍛練隊にいました。釈放され、4カ月後にまた脱北をしたのですが、むかし職場の同僚だった女性からブローカーを紹介されたのです。

ところが、このブローカーが人身売買業者だったのです。女性は、私のように中国へ行きたがっている女性を中国側に紹介し、おカネをもらっていたのですが、彼女もまた、人身売買組織の一員であったのかもしれません。

 中国で、人身売買はどのように進められるのですか。

 中国側に、北朝鮮女性を隠しておく家があるのです。私たちが国境の川を渡ると、組織が手配したタクシーが待っていて、それに乗ってその家に行きました。

「この女が気に入った」

 買い手の男性とは、どのように対面するのですか。

 脱北した女性たちは公園のようなところに連れて行かれ、一列に並ばされます。すると数人の男たちが寄ってきて「買い物」でもするように、好みの女性を選ぶのです。「この女が気に入った。連れて帰る」とでも話していたのでしょう。その場で業者にカネを払い、女性を連れ帰ります。

私たちにはどうすることもできません。従わなければ、中国にいることができないのですから。

貧しい男性

 当時、中国にいた脱北女性は、大部分がそのような状況下にあったのでしょうか。

 そうだと思います。男性に連れて行かれた村には、私のほかにも北朝鮮の女性がいて、「私はいくらで売られてきた。あなたはどのようにして来たの?」というような話をしました。

このようにして結婚させられた相手は、経済的に苦しい漢族あるいは朝鮮族の男性でした。

 振り返るのも辛い記憶だと思いますが、今回はどのような理由で証言してくれたのでしょうか。

 あのような苦痛を強いられる人が、これ以上は出て欲しくないと思うからです。そして何より、中国当局が行っている強制送還の非人道性について注意を喚起したいと思いました。命がけで脱北した人々を、中国当局は北朝鮮に送り返しています。それは死刑宣告にも似た行為であり、だからこそ、脱北女性は人身売買から逃れることができないのです。中国当局は脱北女性の人権を保護すべきであり、北朝鮮の人権侵害に加担するようなことを止めるべきです。