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北朝鮮で「半グレ抗争」勃発…レンガやショベルで無慈悲に滅多打ち

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意外と知られていないことだが、北朝鮮にも裏社会は存在する。90年代までは、「チュモクセゲ」と呼ばれる反社会的勢力が存在した。直訳すると「拳の世界」。実に単純明快なネーミングだ。

彼らは徒党を組んでシノギや抗争で組織を拡大し、時には当局と裏で手を組みながら裏社会に君臨していた。しかし、90年代中盤から北朝鮮を襲った「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉を通じて、社会全体が混乱し、さらに当時の金正日体制が徹底的にヤクザを弾圧したことから、ほぼ壊滅状態となる。

(参考記事:【実録 北朝鮮ヤクザの世界(上)】28歳で頂点に立った伝説の男

21世紀の少年パルチザン

しかし、それまでのヤクザは消滅したものの、大飢饉を通じて新たな「半グレ集団」が生まれることになる。

苦難の行軍は、コチェビと呼ばれるストリートチルドレンたちを生み出した。彼らは当初、市場などで物乞いをしながら、その日暮らしをしていたが、徐々に集団化し窃盗などに手を染めるようになる。

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近年では、盗品を売りさばく裏ネットワークも構築。窃盗手段も走行車両に飛び乗って部品を盗むなど、ますます大胆になっており「21世紀の少年パルチザン」と呼ばれるほどだ。

(参考記事:ストリートチルドレンから半グレへ…北朝鮮コチェビの今

地獄絵図の生存者が

コチェビたちが、半グレ化するなか、より凶悪な半グレ集団となっているのが「松葉杖組」と言われる集団だ。元々は、勤務中の怪我で障がいを追った栄誉軍人(傷痍軍人)たちだ。

(関連記事:北朝鮮の半グレ集団「松葉杖組」とは?

1989年4月には、平壌開城高速道路の建設現場で橋が崩落し、500人以上が死亡。現場の川原には無残な死体が散乱し、見るに耐えない光景が広がったという。この時に生き残ったが障がいの残った約200人の栄誉軍人には、配給などで様々な優遇措置が施された。ところが、「苦難の行軍」によって、福祉制度も配給制度も崩壊したため、彼らの一部は半グレ化していく。

(参考記事:【再現ルポ】北朝鮮の橋崩落事故、500人死亡の阿鼻叫喚…人民を死に追いやる「鶴の一声」

松葉杖組の抗争は激化し、8月はじめには、死者まで出る事態になっていると、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)は伝える。

レンガで滅多打ち

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咸鏡北道(ハムギョンブクト)在住のRFAの情報筋によると、抗争の舞台となったのは道内の端川(タンチョン)市。

端川駅周辺の地域が縄張りの「海運洞(ヘウンドン)組」と、汝海津(ヨヘジン)駅周辺の地域が縄張りの「検徳(コムドク)組」の間で利権をめぐるいざこざが起きた。

海運洞組は、縄張りにある港で水揚げされる海産物の卸売を取り仕切っていた。そこへ8月4日、検徳組が乗り込んできて、力づくで利権を奪おうとしたが、海運洞組の返り討ちにされた。そして、検徳組は報復に出る。

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検徳組は、人手を多く集めた上で、2日後の明け方、海運洞組が根城としている港口洞(ハングドン)の旅館を奇襲した。寝込みを襲われた海運洞組の組員たちは、逃げる隙もなく、レンガ、棍棒、シャベルで無慈悲に滅多打ちにされ、その結果、組員2人が死亡、10数人が重傷を負った。

抗争が悪化した1つの要因は、保安署(警察署)の対応が後手に回ったことにある。最初の時点で、介入していたものの、首謀者を逮捕するなどの対策を取らなかったため、大事件へと発展してしまった。その教訓からか、全国で傷痍軍人の犯罪行為に対する取り締まりは厳しくなり、清津(チョンジン)市浦港(ポハン)区域で、傷痍軍人の犯罪組織の組員7人が逮捕された。

一方、息子を軍隊に送った親からは次のような不満の声も出ている。

「お国のために軍隊に行って障がいを負った。しかし、国家が何の補償もしないなら、犯罪に手を染めるしかないだろう」

「人民第一主義」を掲げながらも、まったく内実が伴っていない金正恩体制下で、起こるべくして起こった事件といえる。