韓国紙・東亜日報の敏腕記者で、脱北者であるチュ・ソンハ氏が最近、自身のブログで1990年代の大飢饉の時のことを振り返っている。
北朝鮮は1990年代半ばから後半にかけて、「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉に見舞われた。餓死者の数は一説に100万人以上とも言われるが、少なくとも数十万の単位であることは間違いないと見られる。チュ氏のブログを、少し長めに引用する。
1995年の春、平壌の空気は陰惨だった。
2月頃からコメ価格の狂乱が始まった。1キロが50ウォン前後だったものが、日が変わるにつれて値上がりし、3カ月ほどで230ウォンにまで暴騰した。
人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真50ウォン前後だったコメ価格が120ウォンほどになったとき、人々は「このままじゃ終わりだ」とざわめき始めた。
200ウォンを超えると街は生気を失い、ゾンビのように徘徊する人々であふれた。
食人事件など犯罪の話が広まり、都市の雰囲気はたった数カ月で殺伐としたものに変わった。
人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真私は1994年の12月末、鉄道駅で出会った平安北道亀城(クソン)の女性から大量餓死の話を初めて聞いた。
軍需工場が密集した現地の労働者区では、夏から松の皮をはがして食べ始め、秋頃から飢え死にする人が出始めたとのことだった。
平壌からわずか100キロほどのところで、そのような惨事が繰り広げられているとは知らなかった。あの時の北朝鮮は、そういう場所だった。
チュ氏が今になってこうしたことを書くのは、対北制裁が当時の悲劇を誘発することを懸念しているからに他ならない。
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制裁は北朝鮮の経済活動を停滞させるために行われているものなので、現在の北朝鮮経済の苦境は、ひとつの成果には違いない。ただ、制裁の究極の目的は、金正恩体制が音を上げて、核兵器開発を止めるよう仕向けることにある。
国際社会は果たして、その目標に近づいているのだろうか。
北朝鮮には民主主義がまったく存在せず、一般国民の不満が政治に反映される仕組みがない。無理にやろうと思えば、死を覚悟して立ち上がるしかない。
そして、それを実行した人は、ほぼ確実に権力によって殺される。
(参考記事:謎に包まれた北朝鮮「公開処刑」の実態…元執行人が証言「死刑囚は鬼の形相で息絶えた」)国際社会は、そのような蜂起を望んで経済制裁を行っているのだろうか。仮に蜂起が起きたら、立ち上がった人々が皆殺しになる前に助けに行く準備をしている国があるのだろうか。
米国を含め、そんな国はどこにもない。国際社会がこうした覚悟を持てなければ、経済制裁が金正恩体制にとって本当の脅威となることはないだろう。
ちょっとしたことで部下を処刑する金正恩党委員長の残忍さは、周知のとおりだ。彼は国民が苦難に喘いでも、歯牙にもかけない可能性が高い。
(参考記事:【動画】金正恩氏、スッポン工場で「処刑前」の現地指導】)この先、国際社会が対北制裁を続ける上で慎重を期さなければ、金正恩氏に核兵器開発を止めさせる目的を果たせないばかりか、誰も望んでいない悲劇をもたらす危険性すらある。
「苦難の行軍」の当時に比べ、現在の北朝鮮は食糧事情が大幅に改善されている。
ただ、国民経済のなし崩し的な資本主義化が進行し、貧富の格差が広がっている今、貧困層は食べ物などの価格がわずかに上昇しただけでも大きな影響を受ける。
また、経済制裁に金正恩氏の失政が重なることで、思わぬ展開が生まれることもあり得る。関係各国はそのことをくれぐれも忘れず、無辜の民が犠牲にならぬよう、慎重の上にも慎重を期すべきだろう。
(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」)