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金正恩氏は「シゴキ」と「パシリ」を経験した…謎の軍隊生活秘話

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北朝鮮の独裁者3代の中でも、金正恩党委員長のキャラクターは非常に独特に見える。

祖父の金日成主席と父・金正日総書記は、独特な国作りをしながらも、東西冷戦の中にあって国際関係においてはバランスを重視した。正日氏は冷戦後、米国を相手に回しての「瀬戸際戦術」に打って出るが、それでも常に対話のチャネルを残していたという点で、バランス志向を保っていた。

身分を秘匿

それに対して正恩氏は「押しの一手」で、しかも現実的な要求を示さない。かと思えば、秘密主義の強かった父と異なり、国内メディアを通じて様々な情報発信を行う。

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この違いはまず間違いなく、各自が成長した環境の違いに影響されていると思われる。祖父や父と比べ、正恩氏の経歴は謎が多いが、一部の脱北者の間では日本ではあまり知られていないあるエピソードが語られている。

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自身も脱北者で、北朝鮮中枢の人事情報に精通する北朝鮮戦略情報センター(NKSIS)代表の李潤傑(イ・ユンゴル)氏は、同センターのウェブサイトで「金正恩氏は、下級兵士として軍に極秘入隊していた」とのエピソードを伝えている。

それによると、2001年にスイス留学を終えて帰国した正恩氏は、翌年10月、金日成総合大学社会科学部に入学した。しかしこの時期、正恩氏は勉強をサボりがちで、バスケ、ビリヤード、卓球、音楽などに没頭していたという。遂には2003年ごろ、大学をやめてしまう。学業に集中できなかったのは、最愛の母である高ヨンヒ氏の病状が悪化したためでもあった。高氏は2004年8月に病死したとされる。

しかし高氏は、正恩氏のことが心残りでならなかったようだ。高氏が生んだ正恩氏ら3兄妹は、その独特なルーツのために、両親のほかには頼るべき親戚もいない。

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また正恩氏の強気な性格をよく理解していた母は、本来ならば後継者候補として最有力であると確信していたのかもしれない。党組織指導部の軍事担当幹部を病床に呼び、息子の将来を託した。そのようにして始動したのが、正恩氏の身分を隠し、下級兵士として軍に入隊させるプロジェクトだったという。

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このとき正恩氏が入隊したのが、とある砲兵中隊だった。正恩氏は、後に金日成軍事総合大学に進んで砲術を専攻し、最高指導者となってからは「砲術の天才」と宣伝されているが、そうしたストーリーの根っこは、ここにあるのかも知れない。

しかし、「超」の付くおぼっちゃま育ちの正恩氏にとって、下級兵士としての軍隊生活が楽であったはずはない。軍隊生活はどこも厳しいが、補給が乏しく兵営も貧弱な北朝鮮の軍隊はなお厳しい。現在は普通のトイレを使えず、専用の代用品を持ち歩いているという正恩氏だが、そのような贅沢が通るはずもない。

(参考記事:金正恩氏が一般人と同じトイレを使えない訳 )

この極秘入隊の目的は、正恩氏を「現実」の中で鍛え上げ、その経歴を最高指導者となる上での武器として使うこと以外にはない。

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そのため正恩氏の身分は徹底的に秘匿され、同じ中隊内の別の小隊にやはり極秘裏に配置された護衛役の兵士たちの存在は、正恩氏本人にも知らされなかったという。

そのような環境の中、正恩氏は上官からシゴキを受け、気合いを入れられ、「パシリ」まで命じられた。ちなみに北朝鮮軍におけるパシリは、売店に食べ物を買いに行かされるといった、単なる使い走りではない。常に不足している食料の穴を埋めるため、農場からジャガイモやトウモロコシなどを盗んでくるのだ。

その他、正恩氏が下級兵士として軍隊生活を送ったとする説の詳細は別の機会に譲るが、事実であれば、一般的にイメージされる北朝鮮の指導者像とはかなりの距離がある。

改めて言うまでもないことがだ、北朝鮮は謎多き国である。それだけに、その謎をひとつひとつ解き明かさずしては、あの国の行動を読むことはできないのだ。