とくに、祖父・金日成主席からは溺愛されたという。また、海外留学などで知性を磨き、国内では庶民ともふれあい、聡明な女性に育ったという。
(参考記事:謎の長身美女「金雪松」のすべて)一方、金日成氏は生前、正恩氏とは一度も会ったことがなかったとされる。
(参考記事:金正恩と大阪を結ぶ奇しき血脈)その後の金雪松氏の経歴について、李氏は次のように説明する。
「金雪松は金日成総合大学に在学中の1993年12月30日、満21歳の誕生日に朝鮮労働党員になりました。そして、金日成が死亡した直後の翌年8月、党中央委員会宣伝扇動部の行事課長を皮切りに党幹部としてのキャリアをスタートさせました。その後の約24年間、党中央の核心部門で経験を積み、2011年12月に金正日が死亡した時点では党組織指導部副部長および秘書室副室長クラスにまで昇進していました」
人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真朝鮮労働党の組織指導部は、北朝鮮の統治機構の最中枢に位置する機関で、そのトップである部長は国内最強の権力者と言える。