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デモと無関係の市民・子供も犠牲に…韓国の「光州虐殺」

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韓国の「5・18光州民主化運動(光州事件)」は、今から38年前の1980年5月18日から27日にかけて起きた。

絶大な権力で国民の民主化要求を押さえつけてきた独裁者、朴正煕大統領(後の大統領・朴槿恵氏の父)が1979年10月26日に暗殺されて以降、韓国社会では民主化への期待が漂い、「ソウルの春」とも言われた。

ところが、クーデターを起こした全斗煥少将(後の大統領)は、翌年5月17日に戒厳令の適用範囲を全国に拡大し、民主化運動を暴力で押さえつけようとした。

市民はそれに反発、各地で激しいデモが起きた。

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全羅南道の光州市では戒厳軍が市民を武力で鎮圧するだけではなく、デモとは関係のない市民や子どもまで虐殺した。

政府が公式に認定しただけでも、現場での死者165人、後遺症による死者が376人、行方不明者76人、負傷者3139人という膨大な犠牲が出た。実際の犠牲者数はこれをはるかに超えると言われている。

韓国は金泳三政権時代だった1995年12月、光州民主化運動の真相究明と責任者処罰のために、5.18特別法を制定し、その法律に基づき全斗煥氏ら16人を逮捕・起訴した。

全斗煥氏は一審で死刑判決、二審で無期懲役判決を受けた(その後恩赦で釈放)。

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さらに、今年2月には「5.18民主化運動真相究明特別法」が成立し、政府、光州市、学界、メディア、市民による真相究明のための努力が続けられている。