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家を捨て、山の中で隠れ住む北朝鮮国民が増加

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北朝鮮には「住民登録制度」なるものが存在する。これは、日本の住民票のように、単に自分の住んでいるところを行政に届け出るという類のものではなく、一生をその土地に縛り付けるものだ。

そんな厳しい住民統制を逃れ、各地を転々とする遊牧民のような暮らしをする人が少なからずいると、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じている。

慈江道(チャガンド)の情報筋によると、貧しい暮らしを強いられている人々が、次から次へと山の中に逃げ込んでいるという。

北朝鮮では、1990年代後半に北朝鮮を襲った大飢饉「苦難の行軍」のころから、家を捨てて山に入る人が出現した。配給が途絶えたため、山を切り開き畑を耕し食べ物を得るのが目的だ。中には、そのまま山の中に住み着いてしまう人もいた。

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しかし最近の傾向は、飢えから逃れるためではなく、市場経済化の波に乗り遅れ、種銭がなく商売もできない人々や、当局から勤労動員、各種支援金の負担を強いられることを嫌った人々が、山に逃げ込むことが多いと情報筋は説明した。

支援金とは、建設事業や政治的行事の費用を事実上の税金として住民から取り立てるもので、庶民にとって非常に重い負担となっている。

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北朝鮮の国土に占める山地の割合は、約8割に達する(日本や韓国は6割前後)。

中でも慈江道は全面積の98%が山地で、2000メートル級の山に囲まれた人口希薄地帯だ。道庁所在地で人口22万人の江界(カンゲ)ですら、街の中心から3キロも離れると「山奥」のようになる。衛星写真で確認すると、山奥の村からさらに何キロも入ったところにも畑が点在しているのが見える。

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慈江道は本来、その地理的特性から軍需産業が集中しており、外部地域からの出入りが厳しく統制されている。

しかし、その統制が効いていないのか、慈江道の山奥には地元の人のみならず、全国から人が集まっているという。家族やきょうだいで山奥に掘っ立て小屋を建てて、山菜、薬草、キノコを採取し、市場で売って最低限の食糧や生活必需品を買い求める生活を送っているという。

登録した居住地に住んでいない住民が増加傾向にあることを受けて、当局は保安署(警察署)を動員して取り締まりに乗り出した。

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取り締まりに引っかかった人は、居住地と人民班(町内会)に登録して組織生活を強いられるが、そのうちまた逃げてしまうという。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋も、中朝国境に近い穏城(オンソン)から慶源(キョンウォン)にかけての山の中に、居住地が不明確な人々が暮らしているという情報があり、地域の保安署が取り締まりに乗り出したと伝えた。

咸鏡北道は前述の慈江道に比べると、遥かに人口の多い地域だが、海抜1041メートルの甑山(チュンサン)の中腹には、人の手が入ったと思われる土地が多く点在しているのが衛星写真で確認できる。

食べるものは充分とは言えず、水道、ガスなども使えないが、北朝鮮の山間部には、歴史上一度も上水道の恩恵を受けたことがない地域が存在する。そのような地域に住むのも、山の中に住むのも、さほど変わりないとも言えよう。

RFAは2010年12月にも、中国在住の脱北者の証言として、北朝鮮で山の中に住む人が増えていると伝えている。

当時、北朝鮮当局は咸鏡北道の富嶺(プリョン)郡のマヤン貯水池周辺に住んでいた37世帯の住民を連行したとのことだが、その人々はいずれも、2009年の貨幣改革(デノミネーション)失敗の大混乱により生活が成り立たなくなった人たちだった。

彼らは畑を耕したり豚や羊を育てたり、瓶を作ったりして生計を立てていた。中にはアヘン栽培を行っている人もいたという。こうした数十世帯単位の村は各地に点在しており、社会から孤立して暮らしている人は数え切れないほどいる。

何千ドルものワイロを払って商売に有利な都会や国境地帯に住もうとする人がいる一方で、政府の干渉を避けて山奥で隠遁生活を送る人がいるのが、なし崩し的に市場経済化の進む北朝鮮の現状なのだ。