今月7日、韓国の鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防相は1980年に韓国の光州市で発生した光州民主化運動(光州事件)当時、デモ隊を弾圧した戒厳軍の兵士などが市民に性的暴行を働いた事実が確認されたことを受け、会見を開いて謝罪文を発表した。
しかし、当時の実態を知る関係者の間からは「今まで政府が黙殺してきたことが、今ごろになって明らかになったに過ぎない」との反応が出ていると、光州の地方紙・全南日報が伝えている。
「山の中で縛り上げられ」
同紙によれば、光州民主化運動における性暴力は、すでに18年前から知られていた。
2000年に5.18民主有功者遺族会が出した「5.18精神病棟の物語 砕け散った風景」という証言集には、悪夢に苦しめられ続けた25人の被害について本人や関係者の証言が収録されており、うち2人は性暴力被害に遭っていたのだ。
人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真当時17歳の女子高生だったAさんは、戒厳令全国拡大に反対するデモに行ったまま戻ってこない兄を探し、大学周辺をさまよい歩いていたところを戒厳軍に捕まった。
激しく殴打され、トラックに乗せられて連れて行かれたのは、山の中だった。
そこで武装した戒厳軍兵士2人に縛り上げられ、性暴力を受けた。
一命はとりとめたものの、毎晩悪夢に苦しめられ続けたAさん。大学に進学したものの、結局は精神病院に入院することになった。医者の診断は統合失調症、不安などだった。
人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真作文のテストで「幸せとは何か」という出題に、「愛する人と結婚して子どもを産むこと」と答えたAさん。その幸せを掴む機会は永遠に訪れないまま、1986年冬に自ら命を絶った。
「大勢の女性と…」
Aさんと同い年だったBさんは1980年春、光州の女子高に進学した。貧しい家の出で、学費は自分で働いて稼いだ。
彼女は1980年5月19日、市内のバス停にいたところで、デモ隊と軍の衝突に巻き込まれた。戒厳軍兵士に髪を掴まれて軍用車に押し込められ、町外れの裏山に連れて行かれた。そして、他の多くの女性と共に複数の兵士から性的暴行を受けた。
人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真精神を病んだBさんは入退院を繰り返すようになり、1989年には出家した。被害者の訴えがデマ扱いされたり、根拠のない噂に苦しめられた結果だ。
当時の韓国では「性暴力は被害者の落ち度が招いた」という見方が強かった。一例を挙げると、性暴力に遭いそうになり加害者に反撃した女性が加害者側の家族から逆に訴えられ有罪判決を受けた1988年のピョン・ウォルス事件がある。
後に大法院(最高裁)で無罪判決を受けたが、加害者側の弁護士からは飲酒、家庭不和などについて「ふしだらな女」という攻撃を受け続け、社会の偏見にも苦しめられた。
光州事件での証言の収集に参加したキム・ソンミさんは全南日報に対し、「女性被害者の中には、精神を病み直接インタビューができず、両親が代わりに話したケースもあった。娘が性暴力被害者であることが知られれば、今後の人生に問題が生じるかも知れないと心配して事実を一部隠そうともした」として「明らかにはなっていないが、性暴力被害者は非常に多いと思う」と述べている。
「もはや手遅れだ。精神障害で当時のことを思い出せない人もいる。証言したものの18年間苦しめられた結果、一部を隠している人もいる。今日になって政府が正式に認めたが、国と兵士が行った暴力について心から謝罪し、真相を明らかにして傷ついた人々が少しでも癒やされることを望むばかり」(キム・ソンミさん)
韓国では今年、女性検事による性暴力被害の告白をきっかけに、女性たちが自らの体験した性暴力の被害を告発する「#MeToo」ムーブメントが大きく広がった。
(参考記事:北朝鮮女性が語る性暴力被害、#MeToo とは言えなくて…)一方、国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、北朝鮮の女性がさらされている様々な性暴力についてまとめた報告書を先月発表した。
(参考記事:「私たちは性的なおもちゃ」暴露された金正恩時代の性暴力)報告書は生々しい被害の体験談と共に、被害女性の口を閉ざさせる社会構造についても解説している。脱北したある女性教師は女性の地位が低いことを嘆きつつも、性暴力の被害女性について次のような見方を示し、衝撃を誘った。
「レイプされたのは、女が愛嬌を振りまいていたからだ」
南北を問わず、女性の意識を縛ってきた悪習の根の深さを見せつける事例と言える。