この映画は国家プロジェクトとして制作されたことから、朝鮮画報や労働新聞には、映画を賞賛する文章があふれているが、その裏には政治的な意味も込められていた。
1972年は、北朝鮮の独裁体制を検証するうえで重要な年だ。
金日成氏は、還暦を迎え、それまでの首相から国家主席となり憲法には主体思想が明記される。その裏で日成氏の偶像化をリードしたのが、息子の正日氏だった。彼は、父の偶像化を進めると同時に金日成に取り入り後継者の座を確固たるものにしていく。
正日氏自身も、この年の10月に党中央委員となり後継者としての第一歩を踏み始めていた。