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北朝鮮のエリート大学生が決起した「投書事件」の顛末

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韓国でソウルオリンピックが開かれる直前の1988年夏、平壌市内の各区域の逓信所(郵便局)で差出人不明の手紙が多数発見された。いずれも宛先は「親愛なる指導者 金正日同志」となっていた。

手紙はガリ版で刷られたものだった。ガリ版とは、パラフィン、ワセリン、松脂を含ませたロウ原紙に鉄筆で文字を刻み込み、枠にはめてローラーで印刷するというものだ。日本では1980年代まで使われていたが、北朝鮮では1970年代からタイプライターの導入が進み、主要機関ではほとんど使われなくなっていた。

秘密警察が追った「筆跡」

手紙の内容は、金日成主席の独裁体制を厳しく批判し、古くなった社会主義制度ではもはや国の発展は望めないという体制批判だった。

当時、金日成氏に成り代わり国の実権を握っていた後継者の金正日氏は、国家保衛部(現国家保衛省)から投書について報告を受け、何があっても全員を探し出し、極刑に処すことを命じた。

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捜査に取り掛かった保衛部が目をつけたのは、同国の最高学府である金日成総合大学だ。投書が、この大学周辺の逓信所から集中的に発見され、また一般人民は知りえない体制の秘密について言及していたためだ。

保衛部は、印刷版にガリガリと文字を刻むガリ版に、筆跡が現れやすいことを考慮し、金日成総合大学の学生の筆跡調査に乗り出した。学生の生活総和(総括)ノートを回収し、投書の筆跡と照らし合わせた。中でも、「優秀学生証」を持った学生を集中的に調べ始めた。

優秀学生証とは、金正日氏の指示に基づき、金日成総合大学が成績優秀な学生に発行したもので、これさえあれば、人民大学習堂(国立図書館)や大学図書館の非公開図書の閲覧も認められる超エリート用フリーパスだ。

大使館街に潜伏

調査の結果、9人の優秀学生がいつも同じ時間に図書館で頻繁に集まっていたことが判明した。9人の生活総和ノートと投書を照らし合わせ、筆跡が似ている点を多数発見した。9人とも大学5年生、6年生で(北朝鮮の大学は最高で6年制)、卒業を控えていたという共通点もあった。

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迫り来る官憲の存在に気づいた9人は、大学から逃亡しようとした。しかし、大学には保衛部の放ったスパイが多数いて、彼らの一挙手一投足を監視していた。逃亡を図った学生1人が、まず保衛部に逮捕された。

もはや逃げられないと悟った別の学生1人は、大学1号校舎の9階で首を吊って自ら命を絶った。そのすきに3人が逃亡した。保衛部は国境を閉鎖すると同時に、友人など関係者宅に踏み込むなどして行方を追った。

3人は、外国大使館が密集している市内の大同江(テドンガン)区域に身を潜めていたが、逃亡から15日後に保衛部要員に逮捕された。連行された彼らは即決で処刑されたと伝えられている。

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金正日氏がこうまで徹底的に抹殺した学生らは、手紙にどんなことを書いたのか。

彼らの投書はまず、マルクスの資本論の矛盾を事細かく指摘し、プロレタリア独裁は創造力を低下させ、経済発展を阻害すると強調した。投書はさらに、北朝鮮で「土台」「成分」などと呼ばれる身分制度にも踏み込んだ。

21世紀が目前に迫っているというのに、封建社会で権力維持に使われていた身分制度が残存している北朝鮮の体制は、階級のない社会を目指した共産主義の理想に反する奴隷社会、極悪な搾取社会になってしまったと強く批判した。

出身成分や家庭土台による差別のない真の無階級社会となり、能力のある人が国の発展のために働いてこそ経済の活性化も期待できるとして、「白頭の血統(金氏一族)」への個人崇拝をも否定した。

同時に、権力層が作り出した身分制度のせいで、知能も人格も備わっていない者たちが、祖父や父の七光を利用して幹部に登用されているとして、「それを批判する自由すら奪われた人民の暮らしとは一体何なのか」と批判した。

しかし言うまでもなく、学生らのこうした憂いが、その後の国家運営に生かされることはまったくなかった。それどころか、北朝鮮の体制は、経済の崩壊に向かって突き進んでいく。事件のあった翌年、平壌では第13回世界青年学生祭典が開かれた。

ソウルオリンピックを成功させた韓国に対抗すべく、金日成氏が誘致したものだ。

大会開催に向け、ホテル、スタジアムなど様々な建物が建設されたが、巨額の建設費は、既に弱りつつあった北朝鮮経済に打撃を与えた。その後、共産圏の崩壊により援助を得られなくなり、度重なる自然災害が起こったことなども影響し、北朝鮮は大飢饉「苦難の行軍」という奈落の底に進んでいった。