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労働新聞に記載されていた金正恩氏の実母「高ヨンヒ」

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次の写真は、1972年12月30日付の朝鮮労働党の機関紙労働新聞である。この年の10月に金正日は中央委員会に選任されている。「朝鮮民主主義人民共和国 中央人民委員会」で発令された政令の一番上にはこう書いてある。

勲章をもらった金正恩氏の実母「高ヨンヒ」

「芸術人たちに朝鮮民主主義人民共和国功勲俳優の称号を与える」

1972年12月29日付労働新聞「政令」

序列の1番目は映画「花を売る乙女」で主役をつとめた洪英姫(ホン・ヨンヒ)。7番目と8番目に万寿台芸術団所属の俳優の名前が記されているが、7番目は当時のスター俳優だったパク・エラ。そして8番目にコ・ヨンヒと記されている。

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この高ヨンヒは金正恩の実母・高英姫の可能性があるが、不思議なことに一般に知られている高英姫とは「ヨン」の字が違う(注)。かつて金正恩も金正雲と表記され「ウン(운)」から(은)へ変わった例があるが、果たしてこの人物は高英姫なのか?

この謎を解く手がかりが、政令の翌年1973年3月に発行された写真グラフ誌「朝鮮画報」にあった。

3月号の高英姫の父・高ギョンテク氏が手記によると「国家授勲の栄誉をにない、表彰までされたという手紙が、次女のヨンジャ(英姫に改名する前の名前)からまいこんだ」という。さらに「父なる首領のふところに抱かれたヨンジャは、希望どおり無料で、しかも奨学金までうけながら音楽舞踊大学を卒業し、いまでは功勲俳優としてりっぱに活躍している」

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朝鮮画報が3月号であることから、高英姫(高ヨンジャ)は1973年2月以前に、勲章を受けていたことになる。この情報を元に1973年3月前後の「労働新聞」や内閣機関紙「民主朝鮮」を全て調べたところ、今回の政令を見つけるにいたった。

12月末に高英姫は勲章をもらい、その知らせを聞いた高ギョンテク氏が翌年の朝鮮画報3月号に手記を書いたとすると時系列的には一致する。また、政令に名前を連ねるために、日本風の名前「ヨンジャ」から「ヨンヒ」に改名した可能性もある。(この時期、多くの帰国者や日本人妻は、金日成の指示によって日本風の名前である「〜ジャ=〜子」から朝鮮式の名前を変えさせられている)

その年、1973年に高英姫は万寿台芸術団の主役として来日するが、当時の公演の裏方だったキム・ミジャさん(仮名)はデイリーNKにこう語った。

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「大規模な海外公演に出る前に勲章を与えることは当時はよくあったことだ。勲章をもらえるほどの万寿台芸術団の俳優で高ヨンヒさんといえば金正恩の実母である高ヨンヒさんの可能性が高い」

公演に同行した朝鮮総連芸術団所属のリ・エラン(仮名)さんもこう語った。

「本当は7番目に記されているパク・エラさんが日本に来るはずだった。でも、金正日に気に入られた高ヨンヒさんに主役が変わったのです。扇の舞ではパク・エラさんと高ヨンヒさんの二人が主役で踊る事もあったのです。そういったことから考えるとこの新聞に記された高ヨンヒは、あの高ヨンヒ(高英姫)さんとしか考えられない」

また、帰国者名簿などから高ギョンテク一家が北朝鮮に帰国した時の家族構成も判明した。

■帰国日時1962年10月21日(第99次船)

父:高ギョン(王へんに景)沢(1913年8月14日生)※強制退去により北朝鮮へ帰国
母:李孟仁(1913年8月3日生)※帰国前に梁明女(ヤン・ミョンニョ)から改名
兄:高相勲 コ・サンフン(1951年2月12日生)※北朝鮮ではドンフン
高姫勲 コ・フィフン(日本名:高田 姫 1952年6月26日生)※高英姫
妹:高恵勲 コ・ヘフン(日本名:高田 恵美 1955年1月17日生)※米国に亡命したヨンスク

(左)1973年のコ・ヨンスク氏(左)藤本健二氏が撮影したコ・ヨンスク氏

1973年の朝鮮画報には上記以外の3人の兄弟も紹介されているが、なんらかの理由で第99次船以後に帰国したと思われる。10日の米国自由アジア放送(RFA)によると、済州高氏霊谷公派の族譜に高ギョンテク(高京澤)の記録が残っていることがわかった。日本の登録における漢字とは違うが、生年月日や北朝鮮に帰国した「相勲」の名前が記されていることから高英姫の父・高ギョンテクであることは間違いない。

デイリーNKが発掘した「政令」のコ・ヨンヒが金正恩の実母の高英姫と同一人物だとすると、公式の新聞に残った唯一の記録の可能性がある。しかし、在日である高英姫の存在や家族関係は、金正恩の偶像化のなかで大きなアキレス腱であり、歴史の闇に葬り去られるかもしれない。

(注)韓国語のヨンは数種類の文字がある。一般的にコ・ヨンヒのヨンは「영」だが、労働新聞のヨンは「용」になっている。これにあたる漢字は「容」「勇(ペ・ヨンジュンのヨン)」 だが、当時の北朝鮮では既に漢字を使っていなかったために漢字名は不明である。以下は、推測だが、彼女が舞踊家だったことを考えると「踊(ヨン:용)」の字をイメージしたことも考えられる。