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金正恩の「肥満」と「処刑」が同時期に始まった必然

張成沢粛清を振り返る(8)

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韓国の国家情報院(国情院)は2016年7月1日、国会情報委員会の懸案報告で金正恩氏の体重について、「2012年には90キロだったが、2014年には120キロに、そして最近では130キロまで増えたと推定される」と明らかにした。その後、こうした情報は出ていないが、写真や映像で見た限りではさらに太ったような気もする。

一体、どうしてこんなに太ってしまったのか。

贅沢な暮らしのためか、あるいは威厳を出すためにあえて肥満体型に「改善」した可能性も考えられるが、独裁者の健康リスクはすなわち体制のリスクだ。それを考えると、この太り方は少し異常に思える。

もともと太目だった金正恩氏の体型の変遷を検証すると、2013年8月あたりから本格的に太り始める。そして、2014年からさらに拍車がかかるわけだが、筆者は、この時期に注目する。

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2013年8月というのは、銀河水(ウナス)管弦楽団のメンバーらに対する虐殺が行われたタイミングだ。理由については「ポルノ疑惑」や李雪主(リ・ソルチュ)夫人のスキャンダル説が囁かれている。

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そしてこの粛清の波は、2013年12月の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長の処刑で嵐となり、北朝鮮国内で吹き荒れた。

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恐怖政治を激化させる中で猜疑心やストレス、プレッシャーに苛まれたことが極度の肥満をもたらした可能性は充分にある。

2013年に起きたことを、もう少し詳しく振り返ってみる。

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韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使の著書『3階書記室の暗号』によると、金正恩氏は2018年3月31日に行った演説で核開発と経済発展の並進路線を宣言しつつ「米国との戦争の前われわれの内部で戦争が起きるかもしれない。内部での思想と意志の対決に勝利してこそ核兵器を作ることができる」と言及。

また6月には、「党の唯一思想体系確立の十大原則」を、新たに「党の唯一領導体系確立の十大原則」(以下、十大原則)に改定し、個別の幹部がパワーを強めることを戒める内容を大幅に強化した。

この十大原則というものは、北朝鮮において憲法の上位に置かれてきたもので、いわば金王朝の独裁を絶対化するための「掟」である。

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今振り返って見れば、金正恩氏が語った「内部での戦争」や十大原則の改定は、いずれの張成沢氏の除去とそれに続く大粛清を意識していたように思える。

それならばなぜ、金正恩氏はこうまで周到に張成沢氏の粛清を準備しなければならなかったのか。張成沢氏は中国からの信頼が厚く、それが粛清の一因になったとされている。実際、張成沢氏の処刑を受けて中朝関係は悪化した。だが、張成沢氏と中国の関係がどれだけ深く、また両者が共同でなんらかの計画を持っていたかどうかについては、詳らかにされていないことが多い。

金正恩氏は、果たして何に怯えていたのだろうか。(おわり)