ただし、呉振宇が抗日パルチザン出身者であり、呉克烈が抗日パルチザンであった呉仲成(オ・ジュンソン)の息子であるのに対して、趙明禄は抗日パルチザンとの関係が確認できない。
北朝鮮では、抗日パルチザン出身者やその子孫が政治的に優遇されてきたが、趙明禄はそうした背景がないにもかかわらず、最高指導層の一角をなすまでに出世したのである。
それにしては、趙明禄の「ベトナム戦歴」は詳らかにされていない。今のところ、彼がベトナム戦争と関係のあったことを示した北朝鮮の対外発行物は、2012年に発刊されたドキュメンタリー小説である『運命』のみであろう。
そればかりか、趙明禄の映像伝記である『先軍革命同志、国防委員会第一副委員長であった趙明禄』では、ベトナム戦争のことが語られなかったばかりでなく、戦争の最中である1969年に体制内で批判されたとされている。