DAILY NK JAPAN

北朝鮮版「ランボー」がたどった数奇な運命

朝鮮人民軍 海外戦記/ベトナム編(4)

人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真

ベトナム戦争においては、北朝鮮の戦闘機パイロットが米軍機を撃墜するなどして活躍した。金正日政権において国防委員会第一副委員長となった趙明禄(チョ・ミョンロク)も、ベトナム戦争に参戦した空軍将兵の一人であったと考えられている。2010年に死去するまで国防委員会において金正日に次ぐ要職を占めるなど、政権の最高指導層の一人でもあった。

【関連記事】米軍機26機を撃墜した「北の戦闘機乗りたち」
【関連記事】ホワイトハウスに乗り込んだ北朝鮮「ベトナム戦争」の英雄

祖国での冷たい仕打ち

趙明禄は、空軍のキャリアを経験した北朝鮮の軍人の中では、呉振宇(オ・ジヌ)や呉克烈(オ・グンリョル)などと並んで海外でもよく知られた人物であった。

人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真

ただし、呉振宇が抗日パルチザン出身者であり、呉克烈が抗日パルチザンであった呉仲成(オ・ジュンソン)の息子であるのに対して、趙明禄は抗日パルチザンとの関係が確認できない。

北朝鮮では、抗日パルチザン出身者やその子孫が政治的に優遇されてきたが、趙明禄はそうした背景がないにもかかわらず、最高指導層の一角をなすまでに出世したのである。

それにしては、趙明禄の「ベトナム戦歴」は詳らかにされていない。今のところ、彼がベトナム戦争と関係のあったことを示した北朝鮮の対外発行物は、2012年に発刊されたドキュメンタリー小説である『運命』のみであろう。

そればかりか、趙明禄の映像伝記である『先軍革命同志、国防委員会第一副委員長であった趙明禄』では、ベトナム戦争のことが語られなかったばかりでなく、戦争の最中である1969年に体制内で批判されたとされている。

人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真

これは、ベトナム戦争に参戦した北朝鮮の将兵が、北朝鮮でどのように扱われたのかを物語っている。趙明禄にとっても、「ベトナム帰り」の経歴は有利に働かなかったのであろう。

ベトナム戦争に参戦した北朝鮮の将兵は、帰国後に歓迎されなかったようだ。そのことは、呉振宇の一生をモデルとした北朝鮮映画『白玉』でも描写されている。米国にはシルベスタ・スタローン主演の『ランボー』をはじめ、ベトナム戦争経験者の苦悩を扱った映画が数多くある。似たような状況が北朝鮮にも存在したとは、まさに皮肉と言うほかない。

映画「ランボー」

「放置」された遺体

人気記事:金正恩氏が反応「過激アンダーウェア」の美女モデル写真

映画『白玉』では、戦死者の遺体を回収できなかったことが批判の理由とされているようだが、実際には遺体は回収されているので、本当の理由は別の所にあったはずだ。

北ベトナムには、当時反目していた中国とソ連の将兵が送られていた。さらに統一後のベトナムは、北朝鮮と対立するようになった。ベトナムの戦場で中国軍やソ連軍、北ベトナム軍と交流し、彼らの政治宣伝に接していた北朝鮮の将兵は、本国で「好ましからぬ存在」と見られたのではないだろうか。

実際、ベトナム戦争での北朝鮮の戦死者を弔ったのは北ベトナムであって、戦死者の遺体とその墓が北朝鮮に移送されたのは、戦争終結から四半世紀以上も経ってからだった。

中東にとどろいた名声

ベトナム戦争に参戦し、批判対象にもなった趙明禄がなぜ出世できたのか。それは、よく分からない。『先軍革命同志、国防委員会第一副委員長であった趙明禄』では、批判された趙明禄を救ったのが金正日であったとされている。

それがどのような過程でのことだったかは分からないが、趙明禄はどうにか粛清を免れ、金正日の信任を得て出世していったということだ。

ベトナム戦争に参戦した北朝鮮の将兵たちが、その活躍ほどには本国で歓迎されなかったにしても、米軍と戦った空軍部隊の活躍は、対外的には北朝鮮の軍事力を宣伝する効果を持った。自由主義陣営ではそれほど認知されなかったかもしれないが、社会主義国家や中東のアラブ諸国など第三世界の一部エリートの間では、認知されていたようである。

そして、北朝鮮はベトナムで戦った将兵たちの名声を、その後の外交・軍事戦略で余すところなく活用するのである。(ベトナム編 おわり)※次回は中東編です。

(宮本 悟 聖学院大学教授)

【連載:朝鮮人民軍 海外戦記】
中東編(1)アラブ諸国に加勢しイスラエルと戦っていた北朝鮮空軍