その後、被害者の一部家族は帰国したものの、生存の可能性がある拉致被害者に対する調査や、北朝鮮の不誠実な姿勢に対する世論の反発は高まり「拉致解決のためには経済制裁によって北朝鮮に圧力をかけなければならない」と、第一次安倍内閣は、2006年に経済制裁発動に踏み切る。
制裁によって北朝鮮側も「拉致は解決済み」と頑なな姿勢を貫くが、2014年に入って日本側が投げたボールを受ける形でやっと日朝交渉にたどり着くことになった。
結果的に制裁が功を奏したと思われがちだが、発動から8年経ったことを考えると必ずしもそうとは言えない。制裁は北朝鮮の姿勢を変える特効薬のように主張され、「経済制裁発動で北朝鮮は、すぐ音を上げて日本側に歩み寄ってくる」と言われていた。
結果を出せていない日本政府
北朝鮮が軟化した背景に、金正日国防委員長の死去や、金正恩第一書記が最高指導者となるなどの国内的な変化、そして、中朝、南北関係をはじめとする国外政治外の政治的環境の変化が大きい。いずれにせよ、自らが置かれた立場に危機感を募らせたことから、日本側への歩み寄りで外交的突破口を図ろうとしていると見られる。