検証「日本人拉致問題」を振り返る

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ところが、中山氏は同年に訪朝してから、急激に態度を豹変させ、拉致事件否定説をとなえはじめる。政治家が動き始めたことによりようやく拉致問題に進展があると思われたが、またもや停滞を余儀なくされるのである。

自体が急転するのは、2002年。北朝鮮工作船の日本海侵犯と銃撃戦の発生や、脱北者の瀋陽大使館が駆け込み事件などを通じて、北朝鮮問題が大きくクローズアップされる。

また、前年から水面下で進められていた日朝国交正常化にむけた交渉においても、「拉致問題が明らかにならない限り、正常化は進まない」というスタンスは、よほどのことが無い限り自らの非を認めない北朝鮮政府を動かす。

急転する拉致事件と切り札「経済制裁」

そして、同年9月15日の日朝首脳会談において、金正日の拉致を認め謝罪するのだ。